43497回騎乗し7424勝を挙げた競馬界の帝王的場文男騎手。
2025年の3月31日付で51年5か月に渡る騎手生活に別れを告げた的場騎手ですが、その引退の裏側には怪我だけでなく不祥事も原因していたことが明らかになっています。
武豊騎手とはまた違った魅力を見せたレジェンドの競馬人生はどのようなものだったのでしょうか。
今回は数々の功績を残した的場文男騎手の記録と人柄、競馬界への貢献を深掘りします。
👤 プロフィール
- 生年月日・出身地:1956年9月7日、福岡県大川市生まれ
- 血液型:A型
- 所属:大井競馬場・東京都騎手会(引退時)
- 騎手デビュー:1973年10月16日(大井・ホシミヤマ号で初騎乗)
- 初勝利:1973年11月6日(大井・ホシミヤマ号)
🏆 主な経歴と功績
- 通算成績:地方競馬で7,424勝+中央で4勝、総騎乗数は43,497回以上
- 驚異の記録:
- 地方競馬最多勝利&最多騎乗記録保持者
- 全国リーディング2回(2002・2003年)、大井リーディング21回 ※1983年・1985〜2004年
- 「Matobaダンス」と呼ばれる独特のフィニッシュスタイルで有名
- 受賞・栄誉:
- 黄綬褒章受章(2020年)
- 騎手服(赤・胴白星散らし)は永久保存の扱いに
- 引退:2025年3月31日付で引退。最終騎乗は2024年7月8日・ブラウンリバティでの3着
引退について語る的場文男騎手
2025年2月14日、51年という長い現役生活に別れを告げた的場文男騎手。
皆様、長い間応援していただき、本当にありがとうございました。正直なところ、まだまだ乗りたい気持ちはありますが、昨年2月に膝をケガし、一度騎乗を再開しましたが、膝の影響もあってか思うような騎乗ができず、体力的にも限界を感じるようになり、騎手としてのキャリアに終止符を打つ決断をいたしました。
最後の騎乗を皆様にお見せすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
しかし、これまで多くの素晴らしい馬たちと共に走り、多くの思い出を作ることができました。皆様の温かい応援が私の力となり、支えとなりました。
これからは新たな道を歩むことになりますが、皆様の応援を胸に、次のステージでも頑張っていきたいと思います。本当にありがとうございました。
と胸が熱くなるようなコメントを残し引退を発表しています。
https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2025/02/14/kiji/20250214s00004049205000c.html
2月17日に行われた引退記者会見では
目標は佐々木竹見さんの7151勝だった。目標があったことでここまで乗れたと思う。66、67歳くらいの時にそろそろいいかなという感じはあった
と最多勝記録という目標を達成したところが分岐点だったと語っています。
ファンがあっての競馬。いっぱいファンが来ると嬉しい。コロナの時期は無観客で精いっぱい頑張ったけどなんだかガッツが出なかった。
とここまで頑張ってくることができたのはファンの声援があったおかげだと熱いメッセージを残しています。
今後の予定について聞かれると
騎手に関しては出来すぎなくらいできた。騎手に未練はない。これからは大井競馬場を応援したい。スタンドへ行って応援したい。騎手人生は100点をつけたいがミスもあったので90点くらい。
と自身に点数をつけ、これからはファンとして大井競馬場を支えたいとの思いを明かしました。
51年間騎乗し引退時の年齢は68歳。
この先破られることは無いと言える7400勝を達成し騎手人生を全うしたと言えることは間違いありません。
会見まで行い華々しい引退を飾ったかのように見える的場騎手ですが、引退の裏にはある不祥事があったとされているのです。
的場騎手引退の真相 何をした?
的場文男騎手現役最後のレースは7月8日の第3レース。
左ひざの怪我から5か月ぶりの復帰という休養明けのレースで3着に入る健闘ぶりを見せるあたりがさすがレジェンドといったところ
レース後的場騎手は
久々で息切れした。追い出してからも普段通りだった。明日また頑張ります。
とこれからも頑張るという気持ちを語っていました。
しかしその翌日、TCK特別区競馬組合が
競馬開催期間外の不適切な行為により、同騎手による騎乗が競争の公正を害する恐れがある
として的場騎手に12日までの騎乗変更を申し出たのです。
復帰戦の後の思わぬ事態にファンの間ではどよめきが走りました。
2017年には緊急性を要する親族との面会を目的とした外出許可願を提出して外出したものの、酒酔い状態で帰所したことにより2日間の騎乗停止処分を受けたこともある的場騎手。
今回はどのような不祥事があったのかと色々な噂が飛び交いましたが、大井所属の後輩である笹川翼騎手の財布からお金を盗んだのではないかという話が出てきたのです。
2019年に開催されたトークショーで
的場騎手の見習いたいところと見習いたくないところ
というテーマでトークが繰り広げられた際、早田功駿騎手は
人のコーヒーを飲んだりするところ。冷蔵庫に入れていて減っていたら大体的場さんです。前にオロナミンC全部飲まれた。
とのエピソードを披露したのです。
また、石川駿介騎手は
人の合羽も取るんですよ。雨の日の調教で人の合羽勝手に着て乗って行っちゃうんです。
と早田騎手に同調するような話を展開。
的場騎手はなんか泥棒扱いされていますね、と困った様子の表情を浮かべていましたが、この話は後輩たちが的場騎手をリスペクトしているからこそ繰り広げられたものであることは間違いないでしょう。
しかし、的場騎手は悪気無しにそういった行為を繰り広げてしまうことはあったようです。
あくまでも噂ですが、笹川騎手の財布の中に入っていた2000円札が珍しいから貰ってしまったとの噂も聞こえています。
的場騎手は謝罪し、相手騎手も大事にはしたくないと語っていたそうで当人同士では話し合いは住んでいるとのこと。
同じく2025年に引退した森泰斗騎手が自身のXで
誰がなんと言おうと個人的には
情熱や執念みたいなものは学ぶべきものがあると尊敬していた。
とにかく残念。
と語っていましたが、名前こそ出していないものの的場騎手の話であることは間違いないでしょう。
結局この件に関して詳細が明らかにされることは無かったものの、この騎乗停止から再び騎乗することが無くなってしまった的場騎手。
引退の際に語ってはいなかったものの、この件が引退に関わっているとみるのは自然なことかもしれません。
的場騎手の面白話
引退に関しては少しくらい話になってしまいましたが的場騎手が愛されていたことは間違いありません。
ここでは的場騎手の面白エピソードをご紹介します!
😂 1. 馬上での激しいフォームがファンに愛されすぎて…
的場騎手の特徴的な「Matobaダンス」は、地元の子どもたちが真似をするほど有名。地方競馬場のファンイベントでは「的場騎手のダンスを再現しよう!」というアクティビティが行われ、本人も苦笑いしながら見守っていたそうです。
🐴 2. レース中の馬との会話?
あるレースで、スタート直後に馬がまったく前に進まず、的場騎手は馬の耳元で「おい、走れよ!」とささやいたとのこと。その後、馬は勢いよく走り出し、観客の間で「あの一言が効いたに違いない」と話題に。
🍜 3. 引退セレモニーでの名言(大井競馬の愛)
引退セレモニーでインタビューを受けた際、アナウンサーが「引退後にどんな趣味を持ちますか?」と質問。的場騎手は少し考えた後に、「趣味? いや、俺はラーメンが好きだから、ラーメンを食べることだな」と回答。これに観客は大爆笑。さらに「ラーメンも競馬も熱いのがいいよな!」と続けて喝采を浴びました。
なんだか長嶋茂雄さんに通ずるものがあるように思います✨
51年という長い間現役生活を続けることができたのも、それだけ的場騎手の人柄が愛されたからであることは間違いないでしょう。
的場騎手とダービー
アラブダービーは通算3勝という成績をあげ東京大賞典や帝王賞といった交流重賞のビッグタイトルも手にしているものの、的場騎手のホームグラウンドである東京ダービーは39回騎乗して2着が10回もあったにも関わらず1勝もすることができませんでした。
大井の七不思議とも言われていますが引退の際的場騎手は最も悔しかった東京ダービーについて聞かれると
93年のブルーファミリーですね
と回答。
ブルーファミリーは無敗で京浜盃、黒潮盃、三冠初戦の羽田盃も制して圧倒的な1番人気に支持されたものの14頭立て14番という大外枠で出遅れてしまい無念の敗北。
2018年にもクビ差2着というあと一歩のレースもあり
1回くらいは勝ちたかったね
と話す一方で
2着10回も記録でしょう
と前向きに話す的場騎手。
この勝気な姿勢も的場騎手の魅力だったと言えるでしょう。
🏆 代表的なビッグタイトル
東京ダービーでは勝利を収めることができなかったものの、ビッグタイトルの数々は手にしている的場騎手。
ここでは的場騎手が手にしたタイトルの代表例を紹介します。
1. 帝王賞(大井競馬場)
- 的場騎手の地元・大井競馬場で開催される地方競馬の最高峰レースのひとつ。
- 1995年の帝王賞で勝利(騎乗馬:ホクトベガ)。
- ホクトベガはその後、中央・地方を問わず名馬として名を馳せました。
2. 東京大賞典(大井競馬場)
- 年末の地方競馬最大のレース。
- 1999年の東京大賞典で勝利(騎乗馬:アブクマポーロ)。
- アブクマポーロとのコンビは的場騎手のキャリアを語る上で欠かせません。
3. 川崎記念(川崎競馬場)
- ダート中距離戦の大舞台。
- 1998年の川崎記念で勝利(騎乗馬:アブクマポーロ)。
- この勝利で、地方競馬の実力を全国にアピールしました。
4. 全日本2歳優駿(川崎競馬場)
- 地方・中央を問わず若い馬たちが争うレース。
- 1998年の全日本2歳優駿で勝利(騎乗馬:アブクマポーロ)。
- 的場騎手の若手馬との名コンビぶりが光る一戦でした。
5. その他の主な勝利
- 南部杯(盛岡競馬場): 地方競馬のマイル最強決定戦。
- ホクトベガで勝利。
- スパーキングレディーカップ(川崎競馬場): ホクトベガで勝利し、地方牝馬の強さを証明。
🏇 的場文男騎手の名言3選
勝利に対して誰よりも貪欲な姿勢を見せる的場文男騎手。
そんな的場騎手が残した名言をご紹介します!
1. 「人は努力してる姿がきれいでしょ?」
- 2017年に地方通算7,000勝を達成した際のコメントより。努力を重ねる姿勢への熱い思いが伝わります。
2. 「これしかできない。やめたらただのおじさんだからね。」
- 同じく7,000勝時の言葉。騎手としてのアイデンティティ、競馬への情熱が込められた名言です。
結局引退することになりましたが、数々の伝説を残した的場騎手がただのおじさんになることはありません。
3. 「勝負の世界は厳しいなぁ。このダービーだけはホント勝ちにくい。」
このような数々の明言を残している的場騎手ですが、僕が1番好きな言葉は
「負けるのは飽きた。勝つのは飽きてない」
という言葉。
7300回も勝たせてもらっているけど、35000回近くは負けているからねとその後に続けたこの言葉は、調教時間帯のアクシデントで右膝の内側の外傷を負い、3時間の手術で47針ほど縫う大怪我での休養後に復帰したときの言葉。
色々な要因がありますが、勝つことに対して貪欲な姿勢が長い現役生活を続けるモチベーションとなり、結果的に大きな記録を打ち立てるものになったのではないでしょうか。
まとめ
7400勝という前人未到の最多勝記録を残して引退した的場文男騎手。
引退後もトークショーに参加するなど、まだまだファンを喜ばせ続けています。
数々の伝説を残し騎手人生を終えた的場文男騎手という存在は、競馬界の歴史そのものと言えるのではないでしょうか。
的場騎手に関わった騎手たちは、その貪欲な姿勢を受け継いでいることでしょう。
的場騎手の魂は永遠に不滅なのです。
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